子どもも家族。子どものために、子どもの話も聞いてほしい



大学進学とともに親元を離れ、養護教諭を目指している大学4年生の佐藤さん(22歳)。不登校の子どもが増える中、保健室に来られる勇気を子どもたちに持ってもらいたいと勉強に励んでいます。家族の一人として、姉として、常にニュートラルにご両親を見ていた佐藤さん。両親の離婚や家族のことをどう感じていたのか語っていただきました。


インタビュー:安田委久美

取材日:2020年7月18日


” 長かった離婚までの時間”

 ー離婚時の状況を教えてください。


当時は父と母、父方の祖父母、妹と私の6人で生活をしていました。

私が高校2年生、妹が中学1年生の時に両親は離婚をしています。

私が物心ついた時から両親の仲が良い時はなく、常に家庭内はぎくしゃくして、良い家族ではないなぁと感じていました。亭主関白というか支配的な父で、父の言うことを「はいはい」と母が黙って聞いているような家族でした。父は祖父母の話にも耳を傾けることはなく、祖父母も両親の喧嘩を止めることもなくて、今では機能不全家族だったと思っています。

私の高校受験前が一番荒れていて、祖父母と妹も含めて、家族6人で3日間くらい家族会議をして、10年頑張ろう!と話していたんです。だけど、翌年に離婚することになって。その時は、お母さんやっと腹くくったな!という風に感じていました。

七五三のお祝い


”他の家庭とは違うと感じていた小学生時代”

 

ーどんなお父さんでしたか?


父は普通のサラリーマンだったのですが、ギャンブルが大好きで、週末は家にいることはなかったです。父が家にいると、いつ怒られるだろうと緊張をしていたので、父がいない週末の方が安心していました。

だけど、友達の家に遊びに行った時に、他のお父さんはそうじゃないって知ったんです。友達のお父さんは一緒に遊んでくれるんだ!怒らないんだ!と驚きでしたね。

私は父と二人でいると緊張していましたが、妹はその辺うまくて。私が怒られているのを見ていたので、父に怒られないように、妹は接していました。

週末に父が外出している方が父にとっても良いし、家にいる私たちにとってもその方が良かったんです。家族でいると安心とか落ち着くと思ったことがなかったです。

今思えば、父もコンプレックスとか抱えている問題があったのかなと。父とは全く会っていないのですが、大学に入って色々と学ぶ中で、父への見方が変わりました。


"離婚のとき、母の愛情と覚悟を感じた"


 ーご両親の離婚前後で生活はどう変わりましたか?


女3人で家の中のことをどうするか考えるワクワクと、学費や妹の中学入学の準備のお金とかどうするんだろうという心配と半々でした。

でも、離婚が決まって、やっと父から離れられる!という解放感と、母が楽になったことがとても嬉しかったです。

不仲なのに離婚しない母になぜ離婚しないの?と聞いた事があるんですが、「お父さんの事が好きだからだよ」という答えを聞いて「そんな訳ないでしょ」と思っていました。

父の言うことを素直に聞いていた母が、慰謝料も養育費も要らない、親権だけほしいと、自ら離婚を切り出したのだから、母の私たちへの愛情も感じました。相当な覚悟だったと思っています。

離婚後はやはり金銭的には厳しかったと思うので、バイトしようかと母に相談したのですが、学校に隠れてすることは良くない。しなくて良いと言われました。

その分、土日も仕事の母に代わり、お昼ごはんどうする?と妹と相談をしたり、仕事前に母が干した洗濯物を取り込んでたたんだり、土日に高校の当番で登校が必要な時には、妹が家に一人にならないように、友達や母と相談していました。

一番大きな変化は、口答えができるようになったことですね。3人とも女子なので、頻繁に口ゲンカはしています。でも長く引きずることはなくて、翌日には普通に戻っています。言いたいことを言えるようになったというのは大きな変化ですね。

被災地ボランティアで訪問した放課後学童クラブ


” 子どもも家族のひとり。蚊帳の外にしないでほしい。”

ーご両親の離婚についてどちらかというと好意的ですが、辛かったことはありますか?


妹には離婚の話をしないでほしいと両親から言われたことです。

自分たちから妹に言いたいのかな?と思っていたのですが、いつまでも言わなくて。その理由は、母が私を引き取って、祖父母と父が妹を引き取ると、私と妹の意向を聞かずに話をしていたからでした。それを聞いて、「それはないよ!妹に失礼だよ!」と怒ってその時は約束を破って、妹へ私から話しました。

誰が妹に話す内容なんだ?!と思いながら、両親が離婚すること、母が私を、祖父母と父が妹を引き取るつもりであることを、私から妹へ伝えました。

妹は当時小学6年生でしたが、きちんと私の話を聞いてくれて、「ママとお姉ちゃんに付いていくよ」と話してくれた時は、嬉しくて私が泣きました。


” お母さんが嫌いになった時もあった。”

ー佐藤さんのお母さんへの信頼は絶大だったのですね。


離婚前に母が好きではなくなった時もありましたよ。父は毎週末、ギャンブルに出かけていたのですが、母もギャンブルをしていたことが分かったんです。

父のことでストレスが溜まるだろうし、ストレス発散になるのであればと祖父母が資金をごくたまに母に渡していたみたいです。ギャンブルをしていたことを妹には言わないでほしいと、母から言われたことで、母を好きではなくなりました。

ですが、幼いころから食物アレルギーや喘息があった妹の世話を一人でしていたのは母で。アレルギー食品を食べてしまった妹を、「死なせへん!」と家を飛び出したり、アレルギー除去ではない給食の時には、給食のメニューと同じようなお弁当を持たせるために、食材のカットや調理方法を工夫している母を見ていたので、やっぱり母への信頼の方が強かったですね。



” シングルズキッズとして育って”

ーお母さんへ伝えたいことはありますか?


子どもが大事だから、子どものためにやってくれていると思うんですけど、もっと自分のためにやってほしいな、自分の好きなことを優先してほしいです。

母は今、三代目J SOUL BROTHERSにハマってるんです。妹もファンで。二人の推メンは違うのですけど(笑)どこに誰のポスターを貼るのか?とかライブに行って来た!と話す母を見ると嬉しくなります。

母がしんどい時や手を抜きたい時の食事はお惣菜を買ってきたり、出かけないで家でゴロゴロしたりしています。離婚をして母は自分で意思決定ができるようになって、心に余裕が出てきて、明るくなりました。

子育てももうすぐ終わるので、これからは自分のために稼いで、自分のために使ってほしいなと思います。


” 取材を終えて”

常に笑顔でざっくばらんにインタビューに答えてくれた佐藤さん。若いのにしっかりしている!という印象を持ちましたが、それ以上に、お母さんや妹さんを思いやる言葉がたくさん溢れていることに、心が熱くなりました。途中からは私自身へのエールにさえ聞こえてきました。子どもに意識を向けつつも、まずは親である私が前を向いて歩んでいく。そして私が泣きながら笑いながら進んでいく姿を、子どもに見てもらいたい。それが親の私にできることならば、不格好な姿を全力で見てもらおうと思いました。佐藤さん、取材に協力いただきありがとうございました!

【取材×文】安田委久美 : ステップファミリーを10年経験した後に離婚。現在はシングルマザー歴5年目。当事者である経験から、シングルマザー向けシェアハウスideauを運営。日々、子どもたちの泣き声、ママたちの怒った声、みんなの笑い声を聞きながら、シングルマザーの新しい働き方・生き方・住まい方を提案できるよう試行錯誤中です。

シングルマザーシェアハウスideauは大阪市平野区に2019年にオープンしました。一人ひとりに「違い」はあるけど「間違いはない」を大切に運営しています。一緒に生活をしていると、しんどい事もあります。それをこれまでの物の見方(価値観)で見るのではなく、新しい視点で見ることを心掛けると新しい価値観に繋がったりします。2020年は「donate(寄付)からcreate(創造)へ」をテーマに、さらに一人ひとりの違い(=自分らしさ)をクリアにし、互いに学び合いながら、自分だけの道を創っていくことをサポートします。

http://peacefesta.com/ideau/


▽シングルマザー向けシェアハウスideauの様子





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