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母子家庭の苦労や葛藤、向き合い続けた経験が絆に変わる



「子ども時代の経験が今の仕事につながっているのかもしれません」そう話して下さった、〜想いを形にするブランディングhand to hand〜のキャプテン髙橋 隆文さん。

21歳の若さで出産、1年後に離婚し女手一つで隆文さんを育てあげた母、厚子さんについて、子ども時代の経験を振り返り当時の思い、現在のお母さんとの関係など、7歳男児育児中のシングルマザー市原 歩が自身も母子家庭で育った経験など踏まえ、インタビューしました。

取材日:2020年8月5日

” 家族で食卓を囲むことに憧れた子ども時代”

―どんな子ども時代を過ごされましたか―


自分が1歳の頃にはお袋は離婚していて、母子家庭で2人の生活でした。

お袋は家計を支えるために仕事を3つくらい掛け持っていて、覚えているのは印刷業者の営業マン、新聞配達、スナックか何か夜の仕事をしていたと思います。

小さい時は寂しくて新聞配達に付いて行ったこともあります。食事は一人で食べることが多く、孤食の状態でしたので食卓への憧れがありました。

家では一日中テレビやゲームをして過ごしたり、中高生の時は淡々と一日が流れて行くような感じでした。

寂しかった経験から人の話を聞くのが好きになり、振り返るとそれが今の仕事につながっているのかもしれません。

最近2度目の結婚したのですが、“家族で食卓を囲む”ということを大切にしています。お袋も本当はそうしたかったけど、物理的にできなかったと思うので。今では一生懸命働いて育ててくれたお袋のことを尊敬しています。

6、7歳ごろの髙橋さんと母、厚子さん



―事前のアンケートでは“常識を知らずに育った”とありますが、具体的に困ったことはありますか―


七五三や日本の文化、盆、正月とか、一般的に育てば当たり前に知っていることを知る機会が少なかったんです。だから周りがそういう会話をしている時に話に入れなくて疎外感を感じたり、大人になって小馬鹿にされたりして、自己概念を下げている時期もありました。

今はプラスの学びとして捉えるようになりましたけど、当時はキツかったですね。

”「何がなんでも産む」21歳、母の決断”

―髙橋さんが生まれた頃のエピソードを教えてください


当時親父は25歳、お袋は21歳くらいで若くて、親父は子どもを持つことに興味がなかったのか、出産に反対したそうです。

お袋は「この子は何がなんでも産む。」と決めていたので、親父に内緒で13万4千円の出産費用を病院に預かってもらい、親父の反対を押切りなんとか自分を産んでくれた、と言うエピソードをここ1〜2年くらいで知りました。


―お父さんのことはどんな風に聞かされていましたか


お袋からは親父はゴルフボールに当たって死んだと聞かされていました。塗装屋をしていた親父が、横浜スタジアムのペンキを塗ったとお袋が自慢げに話していたのが印象的です。

ところが、19歳くらいの時に親父が生きていたと聞きました。

一度も会ったことのない親父ですが、事実を知った時は当時の再会バラエティ番組の影響で会ってみたいと思いました。今は会いたいとは思わないけど、親父がいなかったら俺は生まれてないので、元気に暮らしていたらいいなと思っています。

両親が離婚したのは、親父が子どもを産むのを反対だったこと、あと競輪好きな親父は有り金を全部使って、お金を家に入れない人だったので「この人と一緒にいたらダメになる」と思いお袋が俺を連れて家を出たそうです。

最近になって母親から見せられた数少ない父親との家族写真


” 理解できなかった母の行動、思い”

-宗教や改名など、子ども心に理解し難い経験をされたそうですね-


当時お袋は若くて無知だったからか、人に「これがいいよ」と言われるとすぐに信じてしまう所があったのだと思います。

朝から宗教の定例会に行って正座で神のお言葉を聞いたり、帰ったら金の招き猫があったり。今は宗教が悪いとは思いませんが当時は理解できませんでした。

20歳になった時、家に帰ったら「髙橋 一郎」と書かれた額縁が壁に貼られていました。僕の本当の名前は“隆文“なのですが「明日からこの名前で生きなさい」と言われ大喧嘩をしたこともあります。

今では名前の画数やビジネスネームなど、勉強したので理解できますが当時は意味不明でした。

また、お袋が付き合う男性はいつも家庭のある人だったので、大人の男性を信じられない時期もありました。一番嫌だったのは小学校3−4年の頃、男の人を家に連れこんだこと。その時は寝たふりをしましたが本当に辛くて「やめてくれ」とお袋に言ったのは覚えています。それ以来男の人を連れ込むことはなかったです。

今となっては母親の顔だけでなく、女性としての顔を持つことで自分を保っていたのかなと思えるようになりました。

”自分が変化し、見る景色が変わったことで縮まった母との距離”

-辛かった出来事も今は前向きに捉えられているようですが、何かきっかけがありましたか


それは自分自身の見る景色が変わったからだと思います。大人になって色んな本を読んだり、成功している人の話を聞いたりして物事の捉え方、考え方を変えていきました。


起こった出来事や相手を変える事はできないので、その事実をプラスに変えて行けるような解釈や、自分を客観的に見る。ということを何度も、何度も繰り返して変わる努力をしました。

また、自分が起業して仕事やお金の苦労をしたり、離婚も経験しました。沢山失敗して、人を裏切り傷つけてしまった経験から人の痛みやお袋の気持ちも理解できるようになりました。

-自身が変化したことでお母さんとの関係も変わりましたか


お袋に対して歩み寄ったり、前向きな感情を抱けるようになったのはここ数年です。それまではずっと、お袋とは距離感やよそよそしさがありました。きっかけは、祖父や親戚がここ数年で亡くなって親戚付き合いが増え、「自分は髙橋家の人間なのだ」という自覚が強く湧いてきたことです。

親や祖父母を大切にしようと思ったのと同時に、「自分の子どもが欲しいな」とか色んな感情が湧いてきて、そしたら「お袋にもっと優しくしよう、もっと連絡を取ろう」と思えるようになりました。

-お母さんの夢が叶った北海道旅行


20代、30代の前半まではずっとお袋を突き放して一緒にお袋の地元の北海道に帰ることも拒否していたんですけど、去年おばあちゃんのお見舞いに二人で北海道旅行に行った時、お袋は「夢が叶った」と喜んでくれましたね。

孫もあきらめていたようですけど、今年は第一子が生まれるので孫を見せることもできます。



”「何があってもあなたを守る」そう言い続け、いつも信じてくれた母”

-お母さんの愛情を感じられたエピソードはありますか


野球をやっていたので、試合の後なんかは労って手料理を作ってくれたこと、忙しくても誕生日だけはケーキを買ってきてお祝いをしてくれたことなどは記憶に残っています。

あと、「何があってもあなたを守る」と口ぐせのようにいつも言っていました。

言葉と行動が一致していないこともありましたが、この言葉がずっと支えになっていました。

他には、昔から自分のことはなんでも自分で調べて自分で決めたいタイプだったので母親に何か相談したりはしませんでしたが、口出しされる事は全くなかったです。

「あなたの好きなようにやりなさい、元気でさえいてくれればそれで良い」と言われていたので、信じてくれていると感じました。

ただ、当時はまだまだシングルマザーが見下されたり偏見のあった時代ですから、親戚からはバカにされたり悔しい思いをしたこともあったようです。

大人になった僕を親戚が見て、「良い子育てができたね。」「一人親でも立派に育ったね。」などと声をかけられるようになり、子育ての達成感があった。という話を聞きました。

” 思春期に父親が居ないことをどう乗り越えるか”

-思春期に相談できる父親の存在がないことで困ることはありましたか


うちの場合はお袋が「母親であり父親だから」とよく言っていたんですけど、お風呂に入っていたら急にドアを開けられたときは「やめろよ。」と反抗していました。

相談できる父親はいませんでしたけど、高校生くらいになると大抵のことは友達から学んだり、自然と会話の中で友達に相談したりしていました。なんでもオープンに話せる友達が周りにいるかが大事だと思います。


”自分を変えた本との出会い”

-色々乗り越えての今ですが、コンプレックスや親子関係で悩むことはありましたか-


常識を知らずに育ち大人になったことや、離婚の経験では裏切ってしまったという思いなどから人間関係へのコンプレックスを抱くこともありましたが、まずは自分の欠点を受け入れて認めるところから始めました。頭で理解できても悩んでしまうこともあります。そんな時、自分は読書が好きなのでバイブル本を読み返し、好きな歌の歌詞を何度も見たりしていました。

-お勧めの本を教えてください-


さとうみつろうさんの著書の影響を多く受けて、母親との関係が変わるきっかけになったと思います。

「神様とのおしゃべり」や「悪魔とのおしゃべり」はおすすめです。

これらの本を読んで、目の前で起きている「現実」は自分の固定概念で起こしていることに気がづいたんです。数%の不幸に目を向けるのではなく「今」ある幸せに意識を向けられるようになりました。

それから悩みの対象となる人の背景を知る努力をすることで見える景色が変わることができました。

作中の「鏡は先に笑わない」という言葉が特に印象的で、自分が変わらない限り何も変わらないと知り楽になれました。

何かに執着して悩んだり、苦しんでいる方にはぜひ読んでみて頂きたい本です。

”愛情がしっかり伝わっていれば大丈夫”

-最後に、シングルペアレントに向けてのメッセージ-をお願いします-


シングルペアレントに限らず親子関係に悩む方も多いと思いますが、急に関係が良い方向に行ったりはしないので、時にはじっくり待つことも大事だと思います。ある程度時間をかけて、歳を取らないと気づけないことも沢山ありますから。

相手を変えることはできないから自分が変わっていくことにフォーカスできるようになると楽になると思います。


母親との問題が自分の中で解決し、許して認めることができるようになってから人生が劇的に良い方向に向いた気がしています。

分かり合いたい人との問題は先送りせず向き合い、自身が変わっていくことに時間を使うときっと周りの景色も違って見えてくると思います。

あとは、色々あっても母親の愛情はちゃんと感じていました。そういった意味では子どもに負担や寂しい思いをさせてしまうことはあっても、根本的な愛情を子どもが受け取れていれば、なんだかんだ大丈夫だと思います。

母 厚子さんと髙橋さん


取材を終えて

今回髙橋さんを取材させていただいて、今ではお母さんをとても大切に思い、感謝し、尊敬している事が伝わってきました。

取材を通して気づいた事は、物質的な豊さや教養、常識などは後からいくらでもどうとでもなるという事。

親を理解できない日もあったけど、お母さんと良好な関係を築けるようになったのは髙橋さん自身の強さや努力、それを培う経験があったからだと思います。

そして、そんな髙橋さんの土台を作ったのは紛れもなくお母さんの深い愛情だと感じました。

母子家庭じゃなくても時には間違う事、子どもを傷つける事もあるかもしれません。母親も最初から一人前ではないと思うのです。

ただ、子どもを心から大切に思う厚子さんの気持ち、言葉で伝えていた事をきちんと髙橋さんが受け止めていて、様々な経験を糧に強くなり、人の役に立つ仕事をやりたいと起業されている姿を見て勇気付けられました。

また、これから生まれる新しい命と奥様と益々幸せな家庭を築き「やっとお袋に親孝行ができる」と笑顔で話す髙橋さんを見てとても温かい気持ちになりました。

私自身も、苦労しながら私と妹を大切に育ててくれた母に「ありがとう」を伝えたいと思います。

そして息子との毎日を大切に過ごしていきたいと改めて思いました。

髙橋さん、この度はインタビューにご協力頂きありがとうございました。

インタビュー:市原 歩

取材日:2020年8月5日



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